関西の世界遺産

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高野山

金剛峯寺(こんごうぶじ)




高野山は高野山全体がひとつのお寺であり、 金剛峯寺(こんごうぶじ)は高野山山内117寺をまとめる中心的寺院です。816年、空海が嵯峨天皇から高野山を賜り、伽藍の建立を開始しました。

 

835年に空海が入定するとその後、 甥である真然大徳(しんぜんだいとく)が伽藍を整備しました。しかし994年、落雷によりほとんどの建物を焼失し、以後衰退しました。 中興の祖は祈親上人定誉。1016年から高野山復興に着手しました。

 

平安時代中期頃から藤原道長ら平安貴族が参詣するようになり、 院政の頃には白河上皇、鳥羽上皇が相次いで参詣するなど信仰を集め栄えました。 平清盛は根本大塔を再建。 鎌倉時代には北条政子が夫・源頼朝のために建てた金剛三昧院を建立しました。

 

戦国時代には高野衆と称された大規模な僧兵集団を持ち、1581年の紀州征伐の際は信長勢を撃退しています。

 

信長軍との対立は高野山存亡の危機でしたが、 本能寺の変で信長が亡くなり、 後継者の豊臣秀吉は高野山の客僧木食応其(もくじきおうご)と面会し高野山の降伏を認め、その後所領は17万石から1万石に大幅に減らされましたが、 所領を安堵されました。(その後、加増により2万1千石の寺領となる)

 

豊臣秀吉は高野山を再興し、金剛峰寺の前身、青厳寺を建立しました。 木食応其建立の隣接する興山寺と明治2年合併され金剛峰寺となりました。

 


□南海高野線 極楽橋駅下車、南海高野山ケーブルで高野山駅へ

 

<奥の院のご紹介>
聖地高野山の中でも聖地中の聖地。

空海は835年(承和2)年、奥の院の太師御廟に入定。 御廟では今も空海が禅定を続けているとされ、 現在まで1000年以上もの間、毎日2回食物が運ばれています。

杉木立の参道両脇は数十万ともいわれる墓碑で埋まり、 平敦盛、、織田信長、明智光秀、赤穂四十七士、法然、 親鸞、などなど有名な武将・僧侶のお墓があります。また多くの大名家のお墓も。

会社組織のお墓も沢山あってユニークなお墓もあります。

 

 金剛峯寺(こんごうぶじ)

http://www.koyasan.or.jp/

 


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